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ユーリ・バンダジェフスキー博士
日本公式ホームページ
ユーリ・バンダジェフスキー
「チェルノブイリ 死者の声を聴く男」
バンダジェフスキー博士という人はどういう人物なのか。
少なくとも彼は、他の多くの人々と異なり、チェルノブイリの現場で、真っ当に闘い続けた人であることは間違いありません。
ベラルーシで、チェルノブイリ被害のある現場、1986年以後放射能汚染地域に居住し、1996~1998年にゴメリ市の複数の病院で死亡した人々の心筋、肝臓、腎臓の顕微鏡用組織標本の研究を、彼は行っています。子どもおよび大人の123件の死亡例を調査し、内訳は子ども(0~10歳)の死亡例52件、大人の死亡例71件。死亡患者や突然死の患者に対して、病理的な携帯検査と、放射性元素の計測をおこないました。
解剖をし続けたのです。
それだけおきた"死"に対して、解剖し、病理検査し、放射性元素の計測を続けた人物は、チェルノブイリで、他にはいません。彼は最も、その現場で、遣りとおした男です。これをソ連の中で、最も酷い圧政国でもあったベラルーシで、汚染地ゴメリの医科大学学長として、おこなった人間です。
そして、他の核種なら問題があるかもしれないが、セシウムの体内汚染であれば、この体制下でも発表できると考えて、発表したところ、逮捕拘束されて刑務所に何年も入れられた人間です。人権団体の声が上がり、なんとか出国し、今はウクライナに住んでいます。
結局、バンダジェフスキー博士こそ、そうした放射性物質を体内に取り込んだ場合に、人体にどういうことがおきている可能性があるのかというのを、チェルノブイリに横たわる数多くの死者から、その死因の意味合いを探り続けた専門家です。その声を拾い続けた数少ない人なのです。
まさに、彼は「チェルノブイリ 死者の声を聴く男」。
そのチェルノブイリ死者の声は、いずれにしても、今、汚染下の日本を生きていく上で、強い道しるべになる可能性はあるのです。こうした情報をきちんと汲み取っておくことで、もし、自分や、自分の大切な人間に、何かがおきはじめた時に、どういう対応が可能なのか、考えて行動することが、出来る筈です。
"死を思え"="メメント・モリ"というのも、自分たちの新たな再生の道を探すきっかけにもなるのですから。
バンダジェフスキー博士自体、政府から迫害と弾圧を受け続けた人物で、今でも常に嫌がらせは続いていますし、身辺の安全は完全に保証されている状態ではありません。 そうした中で自分の限界を考えて、それでもやはり日本で語りたいという本人の思いから、来日講演(2012&2013)が実現しました。